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華西都市報」インタビュー仮訳

 

駐中国日本国大使:「外交にはマジックやミラクルはない」
華西都市報記者による木寺昌人・駐中国日本国大使単独インタビュー

(13.04.11)

 

 

(图片来源:华西都市报)

 

 木寺昌人大使は、壁の時計がちょうど4時半を指した時、会議室に入ってきた。彼は濃いブルーのスーツに、薄褐色のネクタイを締めて、微笑みながら、華西都市報の記者の手を握って、慣れない中国語で「ようこそ!」(中国語:「欢迎你们!」)と言った。
 木寺大使が持っていた資料には、赤字でたくさんの書き込みがされていた。日本大使館員は、木寺大使は今回の取材を受けるために、たくさんの準備をしたと私たちに教えてくれた。
 日本のメディアは、以前、外務省で働いていた時の木寺大使は、メディアの取材を受けることが大変少なかったと語った。中国に来てから中国メディアに報道される木寺大使の表情は厳しく、笑顔を見かけることは少なかった。
 木寺大使は、華西都市報の記者に対して、「記事の中でぜひ、私の性格があらわれるようによろしく!」と述べた。木寺昌人が、読者に自身の厳しい表情以外の一面を見せたいと希望していることが伺えた。
 木寺昌人は職業外交官であり、インタビューでは、「率直な意見交換」、「親切に迎えてもらった」といった外交辞令をよく使った。たくさんの鋭い質問に対して、木寺大使は、綿でくるんだように柔らかく記者の質問に答えた。インタビューの内容が、日中両国の政治経済の敏感な問題に触れると、木寺大使は慎重に言葉を選んだ。
 話題が両国関係になると、大使の表情は厳しくなった。両国の経済交流について話すと、大使の目は期待に溢れた。パンダの話題になると、大使は笑って、目を細くして笑いながら、手振りを交えた。
 木寺大使の名刺は、白地に黒字で、「日本国驻中华人民共和国特命全权大使」と印刷されている。日本駐在のある中国人記者によれば、この名刺は木寺大使が北京に赴任する前に、既に印刷されていた。彼曰く、その時大使の心はもう中国に飛んでいた。しかし、木寺大使が、「間隙を縫って大使をする」ことは否定できない事実である。すなわち、一方で日本政府の利益を守りながら、もう一方で、氷点に陥った日中関係を回復することを希望しているのである。
 丹羽宇一郎前駐中国大使の帰国直前に、後任に任命されたばかりの西宮伸一大使が突然亡くなり、木寺大使が最終的に駐中国日本国大使という「火中の栗」を引き受けることになった。メディアは、「危機の際の任命」と称している。中国語を解さない木寺大使が、駐中国日本国大使に就任し、複雑な日中関係に対して、どのように対応するか。新任の王毅外交部長とは旧い友人である木寺大使は、王毅外交部長就任に、どのように期待しているのか。駐中国日本国大使館において、木寺大使がこれらの質問に答えた。

 

「大使はずっと前からやりたかった仕事」

 

華西都市報:駐中国日本国大使となって、緊張しているか。
木寺大使:時には緊張することもある。しかし、私は比較的楽観的な性格なので、基本的には気楽に過ごしている。

華西都市報:外務省はいつ木寺大使に駐中国大使任命を通知したのか。それまで心の準備はあったか。
木寺大使:駐中国大使の任命について、それがいつであったとしても、私はとても驚いたと思う。しかし、長い間外交官をやっていて、国のために働くことが自分の仕事であると思っている。そこで、責任の重い仕事ではあるが、お受けした。大使として任命を受けた以上、日中友好関係の拡大・発展のために全力を尽くす決意である。

華西都市報:「特殊な時期」の駐中国大使として、仕事の重点は何か。
木寺大使:駐中国日本国大使として、一番の任務は、日中友好関係を拡大・発展させることである。今、日中関係が厳しい状況にあるが、このようなときこそ、両国はすべての分野で意思疎通を維持・強化すべきである。と同時に、両国は経済、文化などの分野で交流を積極的に拡大すべきである。駐中国日本国大使館としては、中国各地の日系企業を支援して、日中の経済関係発展を促進したい。
 また、青少年交流や文化活動等の民間交流を後押ししていく。今年3月、約80名の中国各地の大学生と約90名の若手中国メディア関係者を日本に招聘し、ありのままの日本を見てもらった。外交の仕事で、マジックやミラクルはなく、地道な努力が大事だと考えている。私自身できるだけ多くの人と顔をつき合わせて対話し、日中間の文化交流を促進し、国民の相互理解を促進していきたい。

華西都市報:どのような方法で日中両国間の関係を改善するか。
木寺大使:人と人との交流が極めて重要であり、より多くの中国の人々にありのままの日本を理解してもらい、日中両国が調和的に付き合うことが、日中両国民の利益であるということを、私はより多くの人に説明していきたい。青少年交流の促進は非常に大切であり、将来を担う若者同士の相互理解が極めて重要である。
 私は初めて大使を務めるが、外交の第一線で働けることは大変うれしい。外交官の主な仕事は、海外で現地の政府や国民と交流することである。現在の仕事は、自分が外務省に入ってからずっと望んでいたことであり、本来の仕事に戻った気分である。

 

「王毅外交部長と一緒に日中関係を改善することを期待」

 

華西都市報:駐中国日本国大使の人選は曲折があったが、木寺大使は赴任されてプレッシャーを感じているか。
木寺大使:現在、日中関係は依然として厳しい状況にある。2012年12月25日に大使として、身の引き締まる思いで北京に着任したが、その気持ちにいささかの変化もない。私は中国の専門家ではないが、外務省生活の中で様々なポストを経験し、駐中国大使の前には、外務省の官房長と首相官邸の内閣官房副長官補という仕事をしたが、こうした仕事で、よい外交経験を得ることができたと思う。
 中国は日本と同じく「ご縁」を大切にする国である。1986年、私は中華全国青年連合会の招きで訪中し、北京、西安、上海、四川等を訪問した。
北京に着任後、当時、通訳兼ガイドを務めてくださった元全青連幹部に20年ぶりに再会し、旧交を温めた。
 また、21年前に私が外務省中国課首席事務官だった頃、唐家璇・中日友好協会会長、王毅・外交部長、武大偉・外交部朝鮮半島問題特別代表、程永華・駐日本中国大使等と一緒に仕事をしたが、彼らは今でも中国外交の第一線で活躍されている。こうした中国の友人たちとのご縁が現在も続いていることは、大変うれしいことである。今後も、皆さんとのご縁を大切にしながら仕事をしていきたい。
華西都市報:王毅外交部長が就任してから、連絡を取られたか。
木寺大使:4月3日、人民大会堂にて中国国家指導者と駐中国大使らとの会見が行われ、その場で他の駐中国大使とともに王毅外交部長にお会いした。また、ボアオ・アジア・フォーラムでも王毅外交部長と何回もお話する機会があった。私からは就任のお祝いをお伝えし、王毅外交部長と日中関係のためにともに努力をしようと言い合った。
華西都市報:王毅外交部長が就任して、日中関係にどのような進展があると思うか。
木寺大使:約20年前に私と王毅外交部長はお付き合いがあったし、王毅外交部長の活躍を強く希望している。王毅外交部長は、かつて日本大使を歴任されており、日本のことをよく知っているし、日本に多くの友人もいる。私も含め、日本の友人たちは、みな、王毅部長と一緒に、日中関係の早期改善を図ることを期待している。私は王毅外交部長のことを日中関係を築いてきたひとりとして、とても尊敬している。

 

「授業をさぼってパンダを見に行った、成都の火鍋は好き」

 

華西都市報:木寺大使は四川省について、何か知っているか。
木寺大使:1986年、私は中華全国青年連合会の招へいで中国を訪問し、成都と楽山も訪れた。当時の四川省の美しい風景は、今でも忘れられない。20年あまりが過ぎて、街の様子は大きな変化があったことと思う。もう一度四川省を訪問し、本場の四川料理も食べてみたい。
 四川省のパンダは非常に有名で、楽山、峨眉山は日本でも有名である。パンダと言えば、1972年の日中国交正常化の年に、パンダが始めて日本に来たが、当時、私は大学3年生で、授業をさぼって上野動物園にパンダを見に行った。あいにくパンダは2匹とも寝ていて、全く動かず、私はまだ実際に元気に動くパンダを見たことがない。
 大学で勉強したたくさんの知識は忘れてしまったが、あの時のパンダの名前、カンカンとランランは今でも覚えている。
日本の子どもたちもとてもパンダが好きである。2011年5月、温家宝総理が日中韓サミット出席の際、東日本大震災の福島県の被災地を訪れ、子どもたちにパンダのぬいぐるみを贈ってとても喜ばれた。
 四川省が日本で有名なもう一つの理由は四川料理である。日本には四川料理のレストランがたくさんあり、多くの日本人は麻婆豆腐が大好きで、今では「麻婆ラーメン」まで発明した。あなたも試してみることをお勧めする。武候祠や九寨溝は日本でも有名である。日本では三国志のテレビゲームまで流行っている。
華西都市報:成都の火鍋を食べたことがあるか。
木寺大使:火鍋は日本でも人気がある。私は初めて食べたときはとても辛いと感じたが、2回目には大丈夫だった。一番おいしかった火鍋は、北京の四川料理屋で食べた火鍋である。
華西都市報:成都にはトヨタ自動車、イトーヨーカ堂、セブンイレブン等多くに日本企業があり、非常に成功しているが、日系企業の四川省への投資についてどの分野に期待しているか。
木寺大使:中国の西南地域は、近年、毎年2桁の経済成長を遂げている中国の新たな成長センターであり、四川省には先ほどご指摘のあった企業の他にも伊勢丹、コベルコ、NEC、富士通、三菱東京UFJ銀行等、約300社余りの日本企業が進出している。また、重慶市にも約160社の日本企業が進出している。現在、多くの日本企業は、障害者支援や大学生の学費助成、小学校への図書寄贈等、CSR活動を通じた地域社会への貢献に力を入れており、これは非常に重要なことと思う。今後も日本企業が地域に密着して成長し、地域経済および地元市民に欠かせない企業として、地域の発展に大きく貢献していくことを期待している。四川省、重慶市等中国西南地域で一層、日本企業の投資を促進する環境整備が進むことを期待しており、駐中国日本国大使館や在重慶日本国総領事館も必要な支援をしていきたい。

 

「機会があれば四川を訪問したい」

 

華西都市報:木寺大使は多くの中国の都市を訪問してみたいと言われたが、北京以外でどこに行ったことがあるか。
木寺大使:2月22日から23日まで、天津を訪問した。天津市長と意見交換し、地元の日本人の意見を聴き、訪問は大きな成果があったと思う。中国各地で活躍する邦人と日系企業のために、今後もその他の地方都市も訪問していきたい。任期の間に機会があれば、四川省も訪問したい。
華西都市報:今年6月に成都で「Fortune Global Forum」が開催されるが、大使は出席されるか。
木寺大使:現在具体的な計画はないが、四川省には機会を見つけて訪問したい。
華西都市報:中国に着任されてから、すでにいくつかの中国メディアのインタビューを受けられているが、メディアにどんなメッセージを伝えて欲しいと思うか。
木寺大使:華西都市報は影響力のある新聞だと思う。四川省、重慶市は中国経済の発展の重要な柱であり、27年前に私が四川省を訪問したことは、四川省と「ご縁」があるのだと思う。華西都市報の読者の皆さんには、是非日本企業のことを知っていただきたいし、また、海外旅行をする際には、日本を選択肢の一つに加えていただきたい。お互いの理解が深まれば、日中両国は、孫子の代まで仲良くしていくことができる。

 

「日中経済関係の深化を希望」

 

華西都市報:以前、安倍総理は、習近平主席と会いたいと言われ、山口那津男・公明党代表も中国を訪問した。木寺大使は、こうした日本政府の頻繁な交流はどのようなシグナルを伝えていると思うか。
木寺大使:日本政府はこれまでも中国とのハイレベルの対話を重視してきている。私も駐中国日本国大使として、できるだけ早く双方のハイレベルの交流が行われることを希望している。日中は隣国であり、中国は世界第二の経済大国で、日本は世界第三位の経済大国であり、日中両国間の経済関係は非常に広く、厚みのあるものである。日中両国のハイレベルが頻繁に意見交換をすることは非常に重要である。
華西都市報:尖閣諸島(注:原文は「釣魚島」)事件による、中国と日本の経済への影響はどの程度か。
木寺大使:影響は大きい。どの分野でも影響はあるが、一部の分野ではある程度回復している。
私はこれまで、日中両国は政治上の困難があっても、経済、文化、人的交流を積極的に進めるべきであり、それが日中両国の経済と国民に有益であると言っている。
華西都市報:最近一年で、中国から日本への観光客は減少を続けているが、木寺大使はどのように見ているか。
木寺大使:昨年9月以降、中国人観光客の日本への訪問者数は減少しており、これは非常に残念なことである。中国人観光客は日本にとってとても大切であり、と同時に日本人観光客も中国にとってとても大切である。現在の日本の観光庁長官は、私の友人であり、彼も現在の状況が改善することを強く希望している。

 

「中国語はできないが、これから勉強する」

 

華西都市報:中国語を解さない木寺大使が、駐中国大使の任命を受けたわけだが、ご自身の有利な点はどこだと思うか。
木寺大使:北京に来てから、中国語を勉強しようと努力しているが、中国語はなかなか難しい。私の有利な点ということだが、色々な人と仲良くできることだと思う。
華西都市報:内閣官房副長官補から駐中国大使に任命されて、こうした役割の違いにどのように適応されたのか。
木寺大使:これまでずっと、将来大使に任命されるという心の準備はしてきた。仕事の内容が大きく違っても、また、自分にとっては急な大使への任命であっても、現在の大使の仕事には順調に適応することができた。
華西都市報:東京を出発する前に程永華大使と会われたそうだが、どのような話をされたのか。
木寺大使:程永華大使は、私の旧い友人である。現在、程永華大使は東京で駐日本国中国大使をされ、私は北京で駐中国日本国大使をしているというその巡り合わせを語り、感慨深いものがあった。当然、程永華大使とは、日中関係をどのように改善していくかについて率直な意見交換をした。私は北京、程大使は東京で、両国間に政治的な困難があっても、その困難を乗り越えて、経済や文化面や青少年交流等幅広い分野での交流を行うべきであると同じことを繰り返し述べている。

 

「中国の人たちの生活風景を観察することが好き」

 

華西都市報:木寺大使のご家族について、お話いただけるか。
木寺大使:娘が一人いて、北京には一緒に来ておらず、東京で大学に通っている。私が赴任してしばらく経った元旦に、娘も北京に来て、家族揃って故宮や圓明園、天壇公園を参観した。娘は中国に初めて来たのだが、とても印象深かったようである。
 1984年、私の妻は、中華全国青年連合会の招へいで中国を訪問した。妻は、中国に以前から特に関心を持っていた。今回、妻は私と一緒に北京に赴任して、私を支えてくれている。

華西都市報:木寺大使の外祖父は大連で仕事をされたことがあり、母親も大連で生まれたとのことだが、お二人から中国の話を聞いたことがあるか。
木寺大使:私の祖父と母は、1941年に大連から日本に戻ってきた。私が生まれる前に祖父は亡くなったが、母から大連についての話は色々と聞いた。当時のことを話すと、母は目に涙を浮かべることもあり、大連には多くの思い出があるのだと思う。もし機会があれば、私も大連を見てみたい。

華西都市報:木寺大使はゴルフが好きだと聞いている。ご自分の性格はどんな性格だと思うか。
木寺大使:よく私のことを知ってくれているようで、ありがとう。自分の性格を自分で話すのは難しいが、色々な人と会って交流することが好きな性格である。
 また、友人からはよく「おおらかな性格」と言われる。ゴルフ以外に、仕事の合間に大使館の周辺を妻と一緒に散歩している。中国の人たちの生活風景をよく見ることも私の仕事に必要なことだと思っている。

 

記者後記:
一筆一筆書いた「和」の字

 木寺昌人・駐中国日本国大使が記者に与えた第一印象は「優雅」である。
 私と同僚の楊涛は、20分前に木寺大使のオフィスに入ったが、ちょうど廊下で木寺大使と出くわした。木寺大使は、記者のところにやってきて、記者と握手してから、手元の資料を掲げて、「もう少し勉強しないといけないから、もう少し待ってもらってから取材を受けますね。」と言った。
 大使館職員によれば、木寺大使は、インタビューを受ける前に多くの準備をしたという。
 また、木寺大使が華西都市報のインタビューを受けた理由は、一つには弊紙の質問が比較的よく大使の人となりを表せる内容であったこと、また、もう一つの理由は、華西都市報の報道を通じて、もっと多くの中国西南地域の読者に日本を知ってもらいたかったからであるという。
 正式なインタビューの前に、記者はパンダの図柄の蜀刺繍を木寺大使にプレゼントした。木寺大使は、とても喜んで受け取ってくれ、1986年に初めて成都を訪問した時にも蜀刺繍を見かけたが、値段を聞いてとても高かったので、買わなかったと教えてくれた。
 その場にいた人たちは皆笑い、そうしたリラックスした雰囲気の中で取材は始まった。記者が大使と別れる際にも、木寺大使は、改めて蜀刺繍のことに触れて、大使夫人はきっと気に入るだろうと言った。
 インタビューが終わり、記者が木寺大使に、「一言或いは一文字で大使の日中関係に対する期待を表現して欲しい」とお願いすると、秘書がサインペンを持ってきて、木寺大使は、かがんで一筆一筆、記者のノートに「和」の字を書き、自分のサインをした。
 木寺大使は、記者と同僚が今回の取材のために、わざわざ成都から北京まで来たことを知ると、慣れない中国語で一言、「気をつけて!」(中国語:「一路平安!」)と見送ってくれた。

 

華西都市報記者 李寰

 


在中国日本国大使館
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