(北京駐在記者 Teddy Ng)
日本の駐中国大使である木寺昌人氏は、アジアの二大大国の間で拡大する溝を埋めようと1年以上にわたって努めてきたが、今も厳しい外交上の戦いに直面していると述べた。
2012年12月に北京に赴任して以来、多くの友人を作ろうと最善の努力をしてきたにもかかわらず、その経験豊富な外交官は、中国外交部の役人を除いて、中国の指導層と接する運には恵まれてこなかったと述べた。
木寺氏は、「私は、中国各地を訪問し、できる限り多くの中国の方にお会いしようとしてきましたが、現在、中国の指導層にはなかなか会えない状況にあります。この1年間、日中関係の改善のために地道に努力をしてきましたが、なかなか容易ではないと感じています。」と述べた。
木寺氏は、赴任するやいなや、2012年9月に日本政府が日中間で争いのある釣魚島(日本では尖閣諸島として知られる)の3つの島を日本人所有者から購入すると発表した後の緊張した日中関係に直面することとなった。
両国の関係は、昨年12月に安倍晋三総理がA級戦犯14名を祀る靖国神社を参拝し、これによって王毅外交部長が木寺大使を召致して正式な抗議の申入れを行うこととなったが、その後、悪化の一途をたどっている。
中国政府は、後に安倍総理を「歓迎しない(unwelcome)」人物と称しており、この発言は、日本側とのハイレベル対話を拒否することを意図するものとして広く受け止められている。
この日本の駐中国大使は、中国外交部との意思疎通は円滑であり、また、これまで日系企業、日本語を学ぶ中国人学生、そして日中関係のために尽力している方々が活動している多くの地方を訪問してきたと述べた。
しかし、政府の指導者との接触の機会を作り出すことが問題である。「日中間の政治関係が難しいために、地方に行った際にはなかなか地方政府の指導者にお会いできないということはあります。」と彼は述べた。
木寺氏は、両国が直面している状況は「困難」であるが、日本側から事態をエスカレートさせるような考えはない旨述べた。
「日本は戦後一貫して平和国家としての道を歩んできました。安倍政権がその道を変えることはありません。日本は、一貫して毅然かつ冷静に事態に対応しています。」と彼は述べた。
彼は、両国の指導層が平和的に諸問題を解決するよう呼びかけた。「両国間に困難があるからこそ、ハイレベルを含めて直接の意思疎通を行うことが重要です。日本側の対話のドアは常にオープンです。」と彼は述べた。
木寺氏は、大使として直面する困難な状況が今年も続くと認識しているが、両国が「戦略的互恵関係」を尊重し、個別の問題が両国の長期的な関係を危険にさらすことのないよう手段を講ずることを確信していると述べた。
「日中国交正常化以降41年を経て、日中関係は非常に幅広く、また、深くなっています。」
彼は、政治的な緊張にかかわらず、日中間の経済面での協力は続いていると述べた。中国に進出している日系企業は23,000社に上り、約1,000万人の雇用を創出している。
彼は、環境問題への取組、食の安全の向上、少子高齢化社会への対処といった分野においても日中両国は協力を強化することができると述べた。また、日本は、2020年のオリンピック開催時に外国人旅行者数を2,000万人に増やすという目標を掲げており、中国との間でもスポーツや観光を通じて交流を拡大することを期待している。
木寺氏は、今回大使として赴任するまで、中国に関する豊富な経験はなかった。彼は、日本外務省で対アフリカ外交の責任者を務めたほか、在フランス大使館、ジュネーブ代表部、在タイ大使館などで勤務してきた。
彼は、前任大使である丹羽宇一郎が東京都による東シナ海の無人島の購入計画は二国間関係を損なうと述べた後に日本に召還された後を継いで北京に赴任を命じられた。日本政府は、当初、丹羽氏の後任として西宮伸一氏を任命したが、西宮氏が東京の路上で倒れ、亡くなったことから、最終的に木寺氏が任命された。
木寺氏は、中国で直面する「挑戦」について、揮毫に慣れる必要があることであるとより軽い口調で述べた。
「中国各地に行くと、様々な場所で揮毫を求められます。私は筆を使うのが苦手なので、筆と半紙を見ると毎回冷や汗ものです。」と彼は述べた。
また、彼は北京の観光地を歩くことが好きであり、そこで気さくな中国人との出会いがあると述べた。
「私は、車いすの母を連れて八達嶺の万里の長城に行きました。私たちが長い石段を降りていたら、数名の中国の若い青年が車いすを運ぶのを積極的に手伝ってくれました。」と彼は述べた。
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