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察時局による木寺大使インタビュー

(14.09.30)

 

 

 木寺昌人・駐中国日本国大使が2012年末に北京に着任した当時、日中関係は近年でも極めて困難な時期であった。それから1年余りが経ち、木寺昌人大使は、日中の間でどのように大使をしてきたのか。また、現在の日中関係をどのように見ているのか。今般、北京市亮馬橋東街にある大使館で、木寺大使は察時局のインタビューを受けた。
 当日の午後の暑さの中、木寺昌人大使は、日本の公務員に一貫している厳格な風格を保っていた。様々な厳粛な場面に必須の黒いスーツ、白いワイシャツ、磨かれた革靴、一分の狂いもなく時間通りに現れ、また少しも時間を無駄にすることなくインタビューは終了した。しかし、言葉の端々から、時々公務員としての身分とは異なる木寺大使の一面が垣間見えた。「私は餃子が大好きです。あなたは餃子を包めますか?」、「私はおおらかな性格です」、「私は中国式焼き餃子が好きです。人と記念撮影をするのが好きです」等々。
 当時、着任して初めての公開の場面で、木寺大使は全く笑わなかったが、現在はメディアの前で大きく笑うようになり、中国の公衆の前での印象は少なからず変わった。「もしいつも緊張しているようであれば、大使の任務は務まりません。」と木寺大使は述べた。また、木寺大使は率直に「この時に在中国大使をするのは容易ではないです。しかし、悲観はしていません。」と述べた。

 

大使の生涯:外交にはマジックもミラクルもなく、地道にやるしかない
察時局:木寺大使が北京に着任されたばかりの午後、初めて大使館に着かれたばかりで表情は厳粛で、少しも笑わなかったことを覚えています。後日、日本大使館のイベントに参加した際には、木寺大使は満面の笑顔でした。この間、ご自身の変化は大きかったでしょうか。


木寺大使:私は、2012年12月25日のクリスマス当日に北京に着任しました。最初の記者会見は今でもよく覚えていますが、その年の9月の反日デモからそれほど時間が経っておらず、また、突然の任命であったこともあっていくぶん緊張して着任したので、表情が硬かったのかもしれません。今でも、駐中国日本国大使として任務の重さに身が引き締まる思いであることに変わりはありません。
 ただ、普段の私は、比較的リラックスしていますし、自分は比較的大らかな性格だと言われています。いつも一々ストレスを感じているようでは、駐中国大使の任務は務まらないと感じています。交流イベントに出席して、多くの中国の若者たちと接すると、私も勇気づけられますし、自然と笑顔になるのでないかと思います。

 

察時局:先ほど「任務の重さに身が引き締まる」と言われましたが、大使に着任して、プレッシャーはありますか。


木寺大使:私は日中関係が困難な状況にある中で、駐中国日本国大使として北京に着任しました。日本を出発する前、多くの日本の方々から声援をいただきましたし、北京に着任してからも多くの中国の方々が歓迎してくれました。この一年余り、日中関係の改善を目指して地道に仕事をしてきましたが、なかなか容易ではないと感じています。私は、着任以来、政治面での困難が経済、文化や青少年交流、地方交流等に影響を及ぼしてはならないと言い続けてきました。現在、中国側からも、こうした交流を行うべしという雰囲気が出てきていることを歓迎したいと思います。もちろん、私の使命は日中の友好関係促進であり、目標達成はまだこれからです。
 プレッシャーはあるかとのご質問ですが、外交官の仕事をしていれば、多かれ少なかれプレッシャーはあるものです。しかし、中国に来てから、私はできる限り多くの方々にお会いし、各地を訪問し、「足で稼ぐ外交」を行ってきました。私は、今後も一つ一つコツコツと仕事を積み重ねていきたいと思います。私はよく、外交には「マジック」や「ミラクル」はないと申し上げるのですが、できることを着実にやっていきます。

 

察時局:駐中国日本国大使になられてもうすぐ一年半になりますが、ご自分の仕事について満足されていますか。所期の目標は達成できたでしょうか。


木寺大使:このような時期に駐中国日本国大使をするのは容易ではありません。しかし、私は悲観はしていません。中国の指導者層の方にもそのように考える方がいます。状況は必ず良い方向に向かうと信じていますし、その目標実現に向けて、毎日大使館の同僚たちと一緒に努力しています。

 

中国での生活:多くの中国人は日中友好を願っていることを身をもって感じる
察時局:これまでの駐中国日本国大使と違い、木寺大使ご自身は、「中国通」ではありません。中国に来てから、中国語は上達しましたか。


木寺大使:中国語については、余り上達していませんが、人と人との関係の本質は、心と心の交流にあると思っていますし、言葉は違えど、中国の方と心を通わすことはできると思います。特に中国と日本は漢字を共有しているので、日々様々な発見があり、おもしろいと感じています。

 

察時局:木寺大使は、中国料理はお好きだと聞いたことがあります。


木寺大使:(笑)私は、ギョウザが好きですし、自分で包むことができます。小さい頃に習いました。私の母は、大連生まれ、大連育ちですので、よくギョウザを食べました。だから、私が小さい頃は、母はよくギョウザを作ってくれ、私も母を手伝って、ギョウザの皮を包みました。日本でもギョウザは人気の料理です。現在、我が家でギョウザを食べる時は、ギョウザの中身は妻が作って、私が皮で包む役です。

 

察時局:木寺大使は、大使の身分を隠して、一般人として北京の街に出て、中国料理を食べたりしますか。


木寺大使:私は、中国の焼きギョウザ(「鍋貼」)が大好きです。高級なレストランにも安いレストランにも行って食べました。私は身分を隠すことはしませんが、誰かが私が日本大使だと気がついても、お店のサービスが変わったりすることはありません(大笑)。

 

察時局:中国に来られて実際に生活してみて、中国や中国人に対する見方に変化はあったでしょうか。


木寺大使:私は1986年に初めて中国を訪問しました。その後、90年代にも何回か中国を訪問する機会はありましたが、今回、大使として赴任して、北京の街並みが大きく変わり、まるでタイムマシンに乗ってきたかのような感想を持ちました。
 中国で生活していて感じることは、中国社会は活気に満ちているという点です。私は、よくあちこちを散歩するのですが、これまで北京では、南鑼鼓巷、前海、後海、紫竹院公園や様々な市場などを散歩して、中国の方が元気に満ちている姿を目にしました。去年の冬に北京市内の前海と後海に行った時には、寒中水泳をしている人がかなりいて、とても驚きました。
 また、中国の方は親しみやすい方が多いと思いますし、多くの中国の方が日中友好を願っていることを身をもって感じます。例えば、今年2月、妻と共に北京の宋慶齢故居に行った時ですが、そこでは中国人の男子高校生がボランティアとして英語で館内の解説をしてくれました。帰り際に、私が彼に「私は日本大使です」と自己紹介をして名刺を渡したところ、後日、その高校生からメールが送られてきて、「日中関係が早く良くなることを願っています」という温かい言葉がつづられていました。

 

察時局:普段外出されて、大使だと分かってしまうことがありますか。


木寺大使:私が散歩していると、時に「木寺大使ですよね?」と中国の方に声をかけていただいたり、一緒に記念撮影をすることもあります。日中関係は厳しい状況ですが、このように気さくに話しかけてくれる方がいると、その度にうれしく思います。
 また、中国の方は、お年寄りを大事にするという伝統的な美徳を持っておられます。昨年5月、私と妻は、日本から旅行に来た私の母と娘と共に万里の長城、八達嶺に行きました。母は高齢で、万里の長城で車椅子に乗っていたら、階段のところで、一人の中国の青年が自ら車椅子を運ぶのを手伝ってくれました。また、母に対して、「100歳まで生きるよ」といった言葉をかけてくれた中国人観光客の方もいました。こうした中国の普通の方々の優しさは、メディアを通じてはなかなか伝わらないことで、実際に中国に住んでみて初めて分かることです。
 ですから、私は、日本の友人にも、私自身が経験したこうした話はなるべく伝えるようにしています。日中間では、前向きなニュースが不足していると思うので、メディアの皆さんにも、こうしたありのままの相手の国の姿をもっと報道してほしいと思います。

 

民間交流:それは未来への投資であり、いくら多くても多すぎることはない
察時局:尖閣諸島(原文では「釣魚島」)事件の発生から、日中のハイレベルの交流は停滞状態が続いています。一方で、民間交流は絶えることなく続いていますが、木寺大使はこうした民間交流をどう評価しますか。


木寺大使:今のように日中関係が困難な時期にこそ、日中間の様々な交流を促進して、相互理解と相互信頼を深めることが重要です。民間交流の促進は、未来の日中関係への投資とも言え、こうした交流はいくら多くても、多すぎるということはないのではないでしょうか。この点、中国からの訪日観光客が昨年9月から連続で過去最高を記録し、増加の一途をたどっていることは良いニュースです。
 私が初めて訪中した1986年の頃は、日中間の交流は「官」が主導していると感じましたが、その後は経済分野を中心に交流の幅が広がって、現在では、民間レベルの関係が各分野で築かれています。中国においては約23,000社の日系企業が活動しており、1,000万人以上の雇用を生み出していると言われています。日系企業は各地の経済と密接に結びつき、現地の経済発展にも大きな貢献をしています。
 また、民間交流においては、地方自治体間の交流も重要な役割を担っています。1973年6月に神戸市と天津市が日中間で初めての姉妹都市提携を結んだのを皮切りに、今や日中の地方自治体間では355組もの友好姉妹都市関係が存在しています。最近では、4月末に舛添要一・東京都知事が18年ぶりの都知事訪中を実現し、友好姉妹都市である北京市との間で今後の協力を進めていくことを確認しました。
 もう一つ、民間交流で忘れてはいけないのが青少年交流です。言うまでもなく、日中両国の未来を担う若者たちの交流を推進することは、将来にわたり安定した二国間関係を築いて行く上で何より大切です。私の妻は1984年に中華全国生年連合会が組織した日中3,000人交流団の一員として訪中し、先ほども述べたとおり、私は1986年に中華全国青年連合会の招へいで初めて中国を訪問しました。若い頃の交流は一生の財産になります。日中間には官民併せて多くの青少年交流の計画がありますが、中国日本友好協会など中国側の関係機関とも緊密に協力しながら、これまで以上に若い世代の相互理解と相互信頼を深めていきたいと思います。

 

察時局:大使としての一年余りで、中国の都市をいくつ訪問しましたか。


木寺大使:大使着任以降、北京市以外に、天津市、海南省、上海市、甘粛省、陝西省、重慶市、広東省、遼寧省、江蘇省、河北省、香港、マカオ、山東省を訪問しました。地方指導者にお会いできた時とお会いできなかった時がありますが、日中友好の最前線で尽力している方々の努力を後押しするため、私はこれからも積極的に中国各地を訪問していきたいと思います。

 

察時局:地方訪問では、一般的にどのようなところに行きますか。


木寺大使:地方の指導者との会見のほか、日系企業の視察、経済開発区の視察、日本人学校訪問、大学で日本語を学ぶ中国人学生との交流、現地で活躍する経済人、学者、研究者との意見交換、日本留学経験者との懇談など、様々な行事に参加します。そうした中で、日中関係のために尽力されておられる方々が中国各地にいることを改めて実感し、非常に感銘を受けました。

 

察時局:広東省を訪問した時のことを紹介いただけますか。


木寺大使:私は、昨年10月に広東省の深センと広州に行き、朱小丹・広東省長とお会いしました。朱小丹省長は、若い頃から日本との友好的な交流に携わってこられ、日本の著名な俳優・高倉健さんとの友情について心温まるエピソードを紹介していただきました。朱省長に再会する機会があることを楽しみにしています。

 

日中関係:日中間にはあらゆるレベルの直接対話が必要
察時局:木寺大使は普段、中国のテレビ番組はご覧になりますか。ニュースが取り上げている日中関係の摩擦や立場の違いについてどのように見ていますか。


木寺大使:報道の多くは、事実の一面だけを強調したり、誇大に扱ったりしています。私は、中国の方々が、多くの角度からの報道に接する機会がより多くなることを望みます。

 

察時局:最近、多くの関係者が中国を訪問しています。これは日本政府が日中関係を修復しようとする動きだと解釈する人もいますが、こうした解釈について、大使はどのように思われますか。安倍政権は、これらの訪問の成果をどのように見ているのでしょうか。


木寺大使:4月には、河野洋平・元衆議院議長を団長とする日本国際貿易促進協会の一行が訪中し、また、舛添要一・東京都知事も訪中された。5月には、高村正彦・自民党副総裁率いる日中友好議員連盟一行が張徳江・全人代常務委員長と会談し、そして、野田毅・自民党アジア・アフリカ問題研究会会長一行が俞正声・全国政治協商会議主席と会談されました。また、9月には日中経済協会の大規模な代表団が訪中し、汪洋副総理と会見されました。これらの訪問は、いずれも良い成果をあげたと思います。2人の政治局常務委員との会談は、中国メディアでも報道されました。これはまさに、私が希望する「あらゆるレベルの直接対話」の実現だと言えます。
 4月以降行われてきた「直接対話」をさらに拡げていくために、私自身も努力を続けていきたいと思います。と同時に、中国側の努力も御願いしたい。まさに俞正声主席が野田会長との会見で述べられたように、関係改善には日中が、ともに努力していくことが必要で、日中関係が現状のままでは良くないという思いは、双方において深く認識されています。上記のような対話を積み上げていくことにより、日中関係改善に向けた出口のイメージを徐々にでもはっきりさせていく必要があります。

 

察時局:安倍政権は、木寺大使を通じて、意思疎通の希望を伝えていますか。


木寺大使:私は、習近平主席にこれまで2回お会いする機会があり、胡錦濤前主席にも、信任状奉呈の際にお目にかかる機会があった。最近ではその他の常務委員の方々とも、会見同席の形でお会いしています。
 こうした機会を含め、私からも、安倍総理のお考えについて、説明を行ってきている。私は着任以来、日中間のあらゆるレベルの直接対話が必要だと中国側に言い続けており、首脳会談についても実現してほしいと願っています。
 今年11月にAPEC首脳会議が北京で開催されます。これまで日本は、APECに多大な貢献を行ってきました。今年も安倍総理は、北京でのAPEC首脳会議に出席されるでしょう。

 

察時局:日本側はAPECの機会に日中首脳会談の実現を望んでいますか。


木寺大使:安倍総理はAPEC首脳会議に出席するため中国を訪問するでしょう。私にとって重要なことは、ここで(首脳会談の実現の)具体的時期を挙げることではなく、首脳会談実現のために努力することだと思っています。その時に日中関係が更に改善しているよう、私は引き続き努力していくつもりです。


在中国日本国大使館
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