「第16回東京-北京フォーラム」全体会議における垂大使挨拶(2020年12月1日)

令和2年12月1日
「第16回東京-北京フォーラム」全体会議
11月30日及び12月1日、「第16回東京-北京フォーラム」が東京と北京の会場をオンラインで結んで開催され、「コロナ後に目指すべき世界秩序と日中両国の役割」をメインテーマに、両国の政府代表や有識者の間で活発な議論が行われました。
 
垂秀夫在中国日本国大使は、12月1日の全体会議においてテレビ会議の形式で挨拶を行ったところ、挨拶全文は以下のとおりです。
 

 

 
 

御列席の皆様、こんにちは。
 
11月26日に北京に着任しました在中国日本国大使の垂秀夫でございます。「第16回東京-北京フォーラム」全体会合の開催に当たり、一言御挨拶申し上げます。
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まずは、今回コロナ禍の中で、本フォーラムの実現のために多大な努力をなされた日中両国の関係者の皆様に、心からの敬意を表したいと思います。
 
東京と北京の会場をオンラインでつなぐという、かつてない方法により開催にこぎ着けられたと承知しています。かく言う私自身も、現在、着任した日から2週間の隔離を行っている最中であり、本日もこのように公邸の自室からオンラインという形で参加しております。
 
コロナ後の世界における「新たな日常」とはこういうものなのか、とその一端を垣間見ると同時に、これまで16年間、日中関係が穏やかではない時期も、また、今回のような未曾有の事態の中でも、本フォーラムが、日中間の率直なコミュニケーションを支えるプラットフォームとして、一度も途絶えることなく開催されてきたことは、大変得難いことであると感じています。
 
 
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さて、最近の日中関係を振り返りますと、本年9月の菅義偉総理就任直後に、習近平国家主席との間で日中首脳電話会談が行われました。その会談の中で、習近平国家主席から、日中関係を引き続き発展させていくことへの意欲が示され、また、菅総理からは、日中の安定した関係は、両国のみならず地域及び国際社会のために極めて重要であり、共に責任を果たしていきたい旨述べられました。とても良いスタートを切ることができたと思っております。
 
また、先週には、新型コロナウイルスの影響で日中間の往来が中断して以降、初めてのハイレベルの要人往来として、王毅国務委員が訪日されました。日中外相会談の成果として、まさに日中間の人的往来の再開に係る「ビジネス・トラック」、「レジデンス・トラック」の運用が開始されたばかりであります。一時的に滞っていた日中間の人的往来も、潜在的な需要は依然旺盛であります。今後、感染対策を十分にとるという前提の下ではありますが、徐々に回復していくものと期待しています。
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このような進展の一方で、日中間には引き続きいくつかの懸念が横たわっています。その最たる原因は、両国間の信頼関係の欠如、より具体的には国民感情の問題、とりわけ日本国内における対中感情が極めて悪いことが挙げられると思います。
 
先月半ばに発表された日中共同世論調査の結果では、中国に対して「良くない」印象を持つ日本人の割合が9割近くとなっています。その主な理由として、回答者からは、尖閣諸島や南シナ海の問題等が挙げられています。
 
この調査結果をめぐっては、この2日間も様々な議論があったと承知していますが、両国の関係者としては、このような深刻な事態に至った原因はどこにあるのか、また、それを反転させるために何ができるのか、ということを真剣に考える必要があると思います。
 
具体的な問題については、中国側にも言い分があるかもしれませんが、それらを論っているだけでは何の解決にもなりません。私どもとしては中国側の努力に対し、できる限りの協力をしたいと思っていますし、また同時に、より多くの日本人に対して、もっと積極的に中国に関与していただきたいと思っています。
 
先ほどの世論調査においては、日中双方とも、約7割の方が「日中関係は重要である」と考えています。そうであればこそ、日中双方でより多くの人が、不十分な理解や感情的なしがらみを乗り越えて、虚心坦懐に相手国の実情に向き合い、互いに重層的に関わっていく必要があると考えています。
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御列席の皆様、
 
日中間には2000年を超える交流の歴史があります。そのうちのごく一部、近代史の始まりから現在までを振り返るだけでも、不幸な一時期があった一方で、双方が共に助け合う素晴らしい人間ドラマが数多く織りなされてきました。
 
例えば、1853年に米国のペリー提督が黒船で日本に来航し、開国を要求した事件は、日本人にとっては、あまりにも有名ですが、その日本の近代化の黎明期に、羅森いう一人の中国人が深く関わっていたことは、ほとんど知られていません。翌年の1854年、2回目のペリー来航時に米国側通訳の助手として日本を訪れた羅森は、日本語は一切できなかったにもかかわらず、漢文の素養があった江戸幕府側との交渉で大きな役割を果たし、当時の日本人から大歓迎を受けました。
 
また、中国の近代化の始まり、とりわけ辛亥革命の実現に当たり、多くの日本人が深く関わったことは、知る人ぞ知る歴史的事実であります。孫文や黄興などを支援した頭山満、宮崎滔天、梅屋庄吉、犬養毅を始め、この時代には官民問わず多くの日本人が中国に関わり、数え切れないほどの感動的なエピソードを残しています。孫文に心酔した山田良政に至っては、恵州決起にリーダーとして参加し、最後には戦死までしています。
 
このように、近代の一時期、日中は朝野を挙げて重層的に関わり合いを持ちながら、共に助け合ったという歴史的事実があります。これは、まさに現在の我々が学ぶべき指針ではないかと考えています。
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御列席の皆様、既に12月に入り、日本では年の瀬を迎えています。
 
年明け以降は、来年夏の東京オリンピック・パラリンピック、再来年初めの北京冬季オリンピック・パラリンピック、そして国交正常化50周年と、日中関係の歴史にとり大きな節目となるであろう機会が続きます。
 
この過程の中で、一人でも多くの日中双方の関係者が互いに深く関与し合うことで、心と心の触れ合う新たな人間ドラマが沢山生まれ、日中関係が彩られていくことを強く期待したいと思います。
 
隣国同士では、意見の相違や摩擦が生じることは自然なことであります。重要なことは、外部環境に左右されない、安定的で建設的な日中関係を構築していくことであります。そのために、私自身、大使として微力ながら尽力していく所存であります。本フォーラムに参加されている日中双方の全ての関係者の皆様とも手を携えて参りたいと思います。
 
2日間行われた今回の「東京-北京フォーラム」も、後はこの全体会議と記者会見を残すのみとなりました。今回のフォーラムは、私のこの挨拶を含め、オンラインでの日中交流という新たな可能性を提示するものとなり、日中関係の「強靭さ」を示してくれました。今後とも、本フォーラムが様々な形で新たな時代の日中関係の在り方を切り拓いていかれることを期待しています。
 
最後になりましたが、本フォーラムの御成功、そして皆様の御健勝と益々の御発展をお祈りして、私の挨拶とさせていただきます。
 
御清聴ありがとうございました。