「第17回東京-北京フォーラム」全体会議における垂大使挨拶(2021年10月26日)
令和3年10月26日

10月25‐26日、「第17回東京-北京フォーラム」が東京と北京の会場をオンラインで結んで開催され、「不安定化する世界での日中関係と国際協調の修復‐国交正常化50周年にむけて‐」をメインテーマに、両国の政府代表や有識者の間で活発な議論が行われました。
垂秀夫在中国日本国大使は、10月26日の全体会議において挨拶を行ったところ、挨拶全文は以下のとおりです。
諸先輩方の皆様、
御列席の皆様、こんにちは。
「第17回東京-北京フォーラム」全体会合の開催に当たり、一言御挨拶申し上げます。
今回、コロナ禍の中、本フォーラムの実現のために多大な努力をされた日中両国の関係者の皆様に対し、心から敬意を表したいと思います。
私は昨年、本フォーラムに隔離中の公邸の自室からオンラインで参加しましたが、それはまさに駐中国日本国大使として着任した最初の仕事でした。あれからあっという間に約一年近くが過ぎましたが、振り返れば、その間、日中関係の歩みは決して順調とは言えませんでした。その要因は様々あると思いますが、主要な要因の一つは、新型コロナウイルスの蔓延により双方の意思疎通が大きく制限されたことによると思います。
感染症の拡大により、国境を跨いだ人の往来がなくなってしまったことは、外交はもちろん、民間交流やビジネス関係にも大きな影響を与えました。とりわけ中国との間では、ハイレベルを含め本国同士の対面の意思疎通が極めて制約されました。日中間の圧倒的な対話の不足は、政治的な相互不信を拡大させ、互いの国民感情の更なる悪化を招く。この一年の日中関係は、まさにこのような「負のスパイラル」に陥っていたと言えるでしょう。
そのような中、今月8日、就任直後の岸田文雄総理と習近平国家主席との間で日中首脳電話会談が行われました。対面での意思疎通が制約を受ける中、岸田総理の就任直後に電話会談が実現したことは、中国では国慶節の休暇もあったことを考えると、双方が首脳間の意思疎通を重視した結果だったと受け止めています。
会談において、岸田総理からは、両国間の様々な懸案を率直に提起した上で、こうした問題を含め、今後対話を重ねていきたい旨述べたほか、日中国交正常化50周年である来年を契機に、「建設的かつ安定的な関係」を共に構築していかなければならない旨述べられました。習主席からは、「仁に親しみ、隣に善くするは、国の宝なり」との成語を用い、日中関係を発展させていくことへの意欲が示され、両首脳は共通の諸課題について協力していくことで一致しました。
ポスト・コロナを見据え、また来年の国交正常化50周年を目前に、今後の日中関係の方向性を首脳間で確認できたという意味で、とても良いスタートを切ることができたと言えるでしょう。
しかし、首脳電話会談が行われたからと言って、日中間の様々な懸案が一挙に解決された訳ではなく、むしろ、多くの課題が目の前に存在しており、本質的には何も変化していません。こうした懸案については、今後も日本は中国に対してしっかりと主張していくことになりますが、日中関係をマネージする上で重要なことは、電話会談で両首脳が一致したように、双方が対話を重ね、共通の諸課題について協力していくことであります。これこそがまさに、岸田総理から習主席に呼び掛けた「建設的かつ安定的な関係」の意味するところであり、この点を確認できたことこそ、今回の首脳電話会談の最大の成果であったと思います。
それでは、「建設的かつ安定的な日中関係」を構築するには、一体どうしたらいいのでしょうか。
私の好きな言葉で、「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」という大変示唆に富む言葉があります。それでは、未来に向けて日中関係をどうやって変えていけばよいのでしょうか。日中関係の現状について、互いに相手を非難し、責任を押しつけることは簡単ですが、それでは日中関係の未来を変えることはできません。私は、常々、未来を変えるためには、過去から学ぶしかないと考えています。
日中両国は引っ越しのできない隣国同士であり、それがゆえに問題や立場の違いは常に存在しています。国交正常化以来の50年の歴史も、必ずしも平坦な道のりではなく、むしろ紆余曲折の繰り返しでした。
この50年の歴史の中から学ぶこととして、私は、次の三点を挙げたいと思います。
一つ目は、戦略的発想です。
1972年の日中国交正常化は、日本側では田中角栄総理の存在抜きには語れません。1972年9月、国内で反対の声が渦巻く中、決死の覚悟で北京を訪問し、日中共同声明の署名に臨んだリーダーシップは見事なものであり、そして、その背景には、国際情勢の大きな流れと日本の国益を考え、中国との国交正常化を進めると決めた戦略的発想がありました。
また、戦略的発想という意味では、2006年10月、当時、中国に対して厳しいと見られていた安倍晋三総理が就任直後の最初の外国訪問先として中国を訪問したことも忘れてはなりません。後に、「第四の文書」として発出された「戦略的互恵関係」という考え方は、新たな戦略的発想としてその後の日中関係の基礎となりました。日中関係は課題や立場の違いを抱えながらも、協力できる分野では、日中双方が積極的に利益も拡大していく時代に入ったとも言えるでしょう。
二つ目は、相互の信頼と尊重です。
かつて日中関係を形容する言葉として「友好」という言葉が多用されてきました。もちろん「日中友好」は大切ですが、単に「友好」と唱えても、両国間にある様々な課題がなくなるわけではありません。互いに引っ越しのできない隣国である以上、むしろ、お互いに立場があることを認め合った上で、率直に対話を重ね、一致点あるいは妥協点を見出す努力を重ねていくことが重要です。
国交正常化交渉における日中共同声明の文言交渉は、中国国内で大きなプレッシャーを受ける周恩来総理にとって非常に難しい挑戦であったと聞いたことがあります。しかし、周恩来総理は、「自国の利益を守ることは当然のことであるが、他国の利益も考えなければならない。」という信念を堅持し、何とか署名にたどり着くことができたということを私は後に歴史から学びました。現在、我々に求められているのは、まさにこうした周恩来総理の精神を改めて学び合い、立場が異なる相手であっても誠実に対話を重ね、時間がかかれども相互の信頼を増していくことではないでしょうか。
三つ目は、国民の理解と支持です。
1984年に3,000人の日本の若者が当時の胡耀邦総書記の招きで中国を訪れたことは、いまだに多くの中国人の間で語り継がれており、日中関係業務にたずさわる我々としては、とても大きな資産になっています。その翌年には、後の副総理である劉延東・中華全国青年連合会主席が率いる中国青年訪日友好の船代表団500名が日本に招待されました。当時、外務省に入省して間もなかった私は、その受入れ業務に携わりましたが、それはとても良い思い出であります。
こうした中、昨今は互いの国民感情が相当悪化していることは本フォーラムでも大いに議論されたことでありましょう。しかしながら、本年2月に発表された内閣府による世論調査では、中国に対して親しみを感じる割合は約22%にすぎませんでしたが、世代別に見れば、18~29歳が約35%と中国に親しみを感じる割合が最も高かったことが分かっています。日中関係の未来を担うのは、まさにこうした若者であり、未来に向けて「建設的かつ安定的な日中関係」を構築していく上で、引き続き日中間の人の往来、とりわけ青少年交流が重要であることは論をまちません。
国民感情の悪化の原因としては様々な理由が考えられるでしょうが、日中双方が一緒になってこの問題の重要性と深刻さを理解し、改善に向けて努力していくことが重要です。特に、日本は民主主義国家であり、どのような外交政策であっても、国民の理解と支持がなければ長続きしません。現在、国境を越える往来が制限されていますが、今なすべきことは、国民感情に関する数字に一喜一憂せず、ポスト・コロナの世界を見据えて、青少年交流の再起動の準備を始めることではないでしょうか。
御来場の皆様、
まもなく11月に入り、気づけば2021年も残り僅かとなっております。来年の日中国交正常化50周年という重要な節目の年をどのように位置づけ、どのように祝うのか、まさに皆様方を含む日中関係に携わる全ての関係者の覚悟が問われています。国交正常化50周年を契機として「建設的かつ安定的な日中関係」を構築していけるよう、私自身、駐中国日本国大使として微力ながら尽力していく所存であります。また、本フォーラムに参加されている日中双方の全ての関係者の皆様とも手を携えてまいる決意であります。
最後になりましたが、本フォーラムの御成功をお祝いし、そして皆様の御健勝と益々の御発展をお祈りして、私の挨拶とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。
垂秀夫在中国日本国大使は、10月26日の全体会議において挨拶を行ったところ、挨拶全文は以下のとおりです。
諸先輩方の皆様、
御列席の皆様、こんにちは。
「第17回東京-北京フォーラム」全体会合の開催に当たり、一言御挨拶申し上げます。
今回、コロナ禍の中、本フォーラムの実現のために多大な努力をされた日中両国の関係者の皆様に対し、心から敬意を表したいと思います。
私は昨年、本フォーラムに隔離中の公邸の自室からオンラインで参加しましたが、それはまさに駐中国日本国大使として着任した最初の仕事でした。あれからあっという間に約一年近くが過ぎましたが、振り返れば、その間、日中関係の歩みは決して順調とは言えませんでした。その要因は様々あると思いますが、主要な要因の一つは、新型コロナウイルスの蔓延により双方の意思疎通が大きく制限されたことによると思います。
感染症の拡大により、国境を跨いだ人の往来がなくなってしまったことは、外交はもちろん、民間交流やビジネス関係にも大きな影響を与えました。とりわけ中国との間では、ハイレベルを含め本国同士の対面の意思疎通が極めて制約されました。日中間の圧倒的な対話の不足は、政治的な相互不信を拡大させ、互いの国民感情の更なる悪化を招く。この一年の日中関係は、まさにこのような「負のスパイラル」に陥っていたと言えるでしょう。
そのような中、今月8日、就任直後の岸田文雄総理と習近平国家主席との間で日中首脳電話会談が行われました。対面での意思疎通が制約を受ける中、岸田総理の就任直後に電話会談が実現したことは、中国では国慶節の休暇もあったことを考えると、双方が首脳間の意思疎通を重視した結果だったと受け止めています。
会談において、岸田総理からは、両国間の様々な懸案を率直に提起した上で、こうした問題を含め、今後対話を重ねていきたい旨述べたほか、日中国交正常化50周年である来年を契機に、「建設的かつ安定的な関係」を共に構築していかなければならない旨述べられました。習主席からは、「仁に親しみ、隣に善くするは、国の宝なり」との成語を用い、日中関係を発展させていくことへの意欲が示され、両首脳は共通の諸課題について協力していくことで一致しました。
ポスト・コロナを見据え、また来年の国交正常化50周年を目前に、今後の日中関係の方向性を首脳間で確認できたという意味で、とても良いスタートを切ることができたと言えるでしょう。
しかし、首脳電話会談が行われたからと言って、日中間の様々な懸案が一挙に解決された訳ではなく、むしろ、多くの課題が目の前に存在しており、本質的には何も変化していません。こうした懸案については、今後も日本は中国に対してしっかりと主張していくことになりますが、日中関係をマネージする上で重要なことは、電話会談で両首脳が一致したように、双方が対話を重ね、共通の諸課題について協力していくことであります。これこそがまさに、岸田総理から習主席に呼び掛けた「建設的かつ安定的な関係」の意味するところであり、この点を確認できたことこそ、今回の首脳電話会談の最大の成果であったと思います。
それでは、「建設的かつ安定的な日中関係」を構築するには、一体どうしたらいいのでしょうか。
私の好きな言葉で、「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」という大変示唆に富む言葉があります。それでは、未来に向けて日中関係をどうやって変えていけばよいのでしょうか。日中関係の現状について、互いに相手を非難し、責任を押しつけることは簡単ですが、それでは日中関係の未来を変えることはできません。私は、常々、未来を変えるためには、過去から学ぶしかないと考えています。
日中両国は引っ越しのできない隣国同士であり、それがゆえに問題や立場の違いは常に存在しています。国交正常化以来の50年の歴史も、必ずしも平坦な道のりではなく、むしろ紆余曲折の繰り返しでした。
この50年の歴史の中から学ぶこととして、私は、次の三点を挙げたいと思います。
一つ目は、戦略的発想です。
1972年の日中国交正常化は、日本側では田中角栄総理の存在抜きには語れません。1972年9月、国内で反対の声が渦巻く中、決死の覚悟で北京を訪問し、日中共同声明の署名に臨んだリーダーシップは見事なものであり、そして、その背景には、国際情勢の大きな流れと日本の国益を考え、中国との国交正常化を進めると決めた戦略的発想がありました。
また、戦略的発想という意味では、2006年10月、当時、中国に対して厳しいと見られていた安倍晋三総理が就任直後の最初の外国訪問先として中国を訪問したことも忘れてはなりません。後に、「第四の文書」として発出された「戦略的互恵関係」という考え方は、新たな戦略的発想としてその後の日中関係の基礎となりました。日中関係は課題や立場の違いを抱えながらも、協力できる分野では、日中双方が積極的に利益も拡大していく時代に入ったとも言えるでしょう。
二つ目は、相互の信頼と尊重です。
かつて日中関係を形容する言葉として「友好」という言葉が多用されてきました。もちろん「日中友好」は大切ですが、単に「友好」と唱えても、両国間にある様々な課題がなくなるわけではありません。互いに引っ越しのできない隣国である以上、むしろ、お互いに立場があることを認め合った上で、率直に対話を重ね、一致点あるいは妥協点を見出す努力を重ねていくことが重要です。
国交正常化交渉における日中共同声明の文言交渉は、中国国内で大きなプレッシャーを受ける周恩来総理にとって非常に難しい挑戦であったと聞いたことがあります。しかし、周恩来総理は、「自国の利益を守ることは当然のことであるが、他国の利益も考えなければならない。」という信念を堅持し、何とか署名にたどり着くことができたということを私は後に歴史から学びました。現在、我々に求められているのは、まさにこうした周恩来総理の精神を改めて学び合い、立場が異なる相手であっても誠実に対話を重ね、時間がかかれども相互の信頼を増していくことではないでしょうか。
三つ目は、国民の理解と支持です。
1984年に3,000人の日本の若者が当時の胡耀邦総書記の招きで中国を訪れたことは、いまだに多くの中国人の間で語り継がれており、日中関係業務にたずさわる我々としては、とても大きな資産になっています。その翌年には、後の副総理である劉延東・中華全国青年連合会主席が率いる中国青年訪日友好の船代表団500名が日本に招待されました。当時、外務省に入省して間もなかった私は、その受入れ業務に携わりましたが、それはとても良い思い出であります。
こうした中、昨今は互いの国民感情が相当悪化していることは本フォーラムでも大いに議論されたことでありましょう。しかしながら、本年2月に発表された内閣府による世論調査では、中国に対して親しみを感じる割合は約22%にすぎませんでしたが、世代別に見れば、18~29歳が約35%と中国に親しみを感じる割合が最も高かったことが分かっています。日中関係の未来を担うのは、まさにこうした若者であり、未来に向けて「建設的かつ安定的な日中関係」を構築していく上で、引き続き日中間の人の往来、とりわけ青少年交流が重要であることは論をまちません。
国民感情の悪化の原因としては様々な理由が考えられるでしょうが、日中双方が一緒になってこの問題の重要性と深刻さを理解し、改善に向けて努力していくことが重要です。特に、日本は民主主義国家であり、どのような外交政策であっても、国民の理解と支持がなければ長続きしません。現在、国境を越える往来が制限されていますが、今なすべきことは、国民感情に関する数字に一喜一憂せず、ポスト・コロナの世界を見据えて、青少年交流の再起動の準備を始めることではないでしょうか。
御来場の皆様、
まもなく11月に入り、気づけば2021年も残り僅かとなっております。来年の日中国交正常化50周年という重要な節目の年をどのように位置づけ、どのように祝うのか、まさに皆様方を含む日中関係に携わる全ての関係者の覚悟が問われています。国交正常化50周年を契機として「建設的かつ安定的な日中関係」を構築していけるよう、私自身、駐中国日本国大使として微力ながら尽力していく所存であります。また、本フォーラムに参加されている日中双方の全ての関係者の皆様とも手を携えてまいる決意であります。
最後になりましたが、本フォーラムの御成功をお祝いし、そして皆様の御健勝と益々の御発展をお祈りして、私の挨拶とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。