垂大使が中国社会科学院主催「初心を顧み、未来に向かう」-日中国交正常化50周年記念国際シンポジウム開幕式に出席(2022年8月27日)

令和4年8月27日
垂大使が中国社会科学院主催「初心を顧み、未来に向かう」-日中国交正常化50周年記念国際シンポジウム開幕式に出席(2022年8月27日)
垂大使が中国社会科学院主催「初心を顧み、未来に向かう」-日中国交正常化50周年記念国際シンポジウム開幕式に出席(2022年8月27日)
8月27日、垂大使は、中国社会科学院主催の「初心を顧み、未来に向かう」-日中国交正常化50周年記念国際シンポジウムの開幕式にオンラインで出席し、挨拶を行いました。
開幕式では、垂大使のほか、劉延東・前中国国務院副総理(オンライン)、福田康夫・元日本国内閣総理大臣(オンライン)、石泰峰・中国社会科学院院長、孔鉉佑・駐日中国大使(オンライン)、程永華・中日友好協会常務副会長(前駐日中国大使)及び宮本雄二・元駐中国日本国大使(オンライン)が挨拶を行い、当館からは七澤公使が出席しました。
 
垂大使の挨拶は以下のとおりです。
 
会場にいらっしゃる、尊敬する石泰峰・中国社会科学院院長、程永華・元駐日大使、
御来席の皆様、オンラインの関係者の皆様、
 
ただいま御紹介にあずかりました、在中国日本国大使の垂秀夫でございます。先日、天津で行われた秋葉・国家安全保障局長と楊潔篪・中央外事工作委員会弁公室主任との対話に同席したため、まだ健康観察期間中であり、本日は日本大使公邸からオンラインで御挨拶申し上げることをお許しください。
 
まず初めに、新型コロナウイルスが未だ収まりを見せない中、関係者の御尽力により、本日、こうして中国社会科学フォーラムが開催されますことをお喜び申し上げます。本フォーラムのテーマでもありますが、本年は日中国交正常化50周年であり、約1か月後の9月29日には、まさにその記念日を迎えることとなります。本日は、せっかくの機会でもありますので、この50年を振り返りつつ、日中関係の現在と未来について、私の思うところを率直に述べたいと思います。
 
「人、遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり」。
これは、遠い将来のことを考えずにいると、近い将来に必ず心配事が起こるという、『論語』の教えです。
50年前の1972年9月25日、田中角栄総理は、中国に向かう機内で、同行記者から、「なぜ北京に行くのか」と問われ、「時の流れだからだよ」と答えたそうです。当時、田中総理や大平外相は、めまぐるしく情勢が変わる激しい冷戦の中でも、「時の流れ」を正確につかみ、目の前のことだけではなく、日本の50年先、100年先を見据えた戦略的思考を持っていました。
一方、日本の総理一行を初めて迎え入れる中国にも、毛沢東主席、周恩来総理という、同じく戦略的思考を持ち合わせた指導者がいました。しかしながら、思考だけでは、大事は成せません。国交正常化を成し遂げるには、リスクを恐れない勇気と決断力が必要でありました。なぜなら当時、日本も中国も、国交正常化に反対する声が極めて大きかったからです。歴史の偶然か必然か、日中両国には先見性と勇気を兼ね備えた指導者が存在し、彼らの政治的決断により、日中関係の歴史に新たなページが刻まれました。
 
それから50年、これまでの日中関係の道のりは決して順風満帆ではありませんでした。現在の日中関係も、数々の挑戦に直面しています。その理由の一つは、この2年間、コロナ禍で互いの対話と交流が圧倒的に不足していることが挙げられるでしょう。しかし、それだけでは現在の困難な日中関係を説明するには必ずしも十分とは言えないと思います。私はここで、現在の日中関係に大きな影響を与えている要素として、50年間における3つの大きな変化について述べたいと思います。
 
第一に、近年、中国が急速に発展し、日中両国の国力が逆転したことが挙げられます。2010年に日中両国のGDPは逆転し、今や中国のGDPは、本年末時点で日本の4倍を超える見通しにまで成長しています。これまで約3兆6千億円の対中開発援助(ODA)を行ってきた日本において、こうした急速な中国の発展や変化を簡単に受け止めきれない複雑な感情があるのは事実だと思います。また、中国側について申し上げれば、近代史において不幸な歴史を経験し、建国後も幾たびかの大きな混乱を経た中国が、今や大いに発展し、大国としての自信を強めていることに対しては、大いに敬意を表したいと思います。しかしながら、その過程において、「自信」があふれ過ぎ、その対外姿勢が周りの国から「戦狼」と評されるのは如何なものでしょうか。日本に対しても、かつてのようなきめ細やかな配慮が払われなくなっているように感じているのは私だけでしょうか。
 
第二に、国民感情の問題です。先ほど述べた要因もあり、特に近年、日本の対中感情の悪化が顕著であります。かつて1970年代から80年代にかけて、日本国民の7、8割が中国に対して好感を抱いていました。中国が困難に直面した89年及びそれ以降の一定期間においても、日本の対中好感度は50%以上を維持していました。これは、当時の日本政府が、対中外交で相当程度柔軟な対応をとることができた大きな背景でもありました。しかし、近年の日本の対中好感度は、実に1、2割程度にすぎません。この点については、日中双方でよく考える必要があるのではないでしょうか。中国にいれば、日中関係の基礎は民間にありとよく耳にはしますが、そのことを実感することは困難です。日中間の政治関係が悪化した場合、常に直接かつ間接に影響を受けるのが民間交流だからです。これでは、対中好感度が好転することは容易ではありません。
 
第三に、日中関係のために政治的リスクを取れる指導者が日中双方ともに少なくなったように思います。国交正常化は、戦略的思考とリスクを恐れない政治的勇気を兼ね備えた両国の指導者によって実現しました。しかし、先ほども述べたように、50年経った今、国力をつけた中国の対外姿勢、もちろんそれには日本への対応も含まれますが、ますます強硬なものとなっているように見受けられ、同時に、日本においても、日本国内の対中感情の悪化に伴い、中国に関与することが大きな政治的リスクになっています。結果として、両国において、政治的リスクを冒してまで日中関係にコミットしようとするリーダーがますます少なくなっているのが現状であります。
 
以上、50年前と比べた3つの大きな変化を申し上げたわけですが、今の日中関係において、何も50年前と同じことをすべきと言っているわけではありません。日中両国や国際関係をめぐる情勢は大きく異なっています。今は、両国の国民同士が誠実に付き合っていくことが何よりも求められており、 そのためには、「羅針盤」が必要であります。
コロナ禍で双方の往来と交流が止まる中、日中関係は、負のスパイラルに陥りつつあります。日中両国の国民に大きな指針を示すことができるのは、私は、両国の指導者しかいないと確信しています。50年前のように戦略的思考とリスクを恐れない政治的勇気を持って、両国の指導者間で緊密な意思疎通を行うことがますます求められております。両国の指導者から大きな指針が示されれば、日中間の国民交流は大きく前進するでしょう。これからは、双方で留学生や観光客の受入れを全面的に再開し、ポスト・コロナの協力を推し進めていくことが期待されます。国民同士がお互いを「実物大」で認識し合って、初めて本当の国民交流が始まります。
 
1972年の日中共同声明には、その前文で、「日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」と明記されています。50年経った今、我々に求められているのは、この精神に立ち戻り、まさに「遠きを慮る」ことではないでしょうか。
 
私は、在中国日本国大使であると同時に、一人の写真家でもあります。これまでカメラのレンズを通して、日中両国の美しい自然の偉大さ、心に残る街並みの情景、庶民の喜怒哀楽を数多く切り取ってきました。そこから見える世界には、日中両国に多くの共通点があることをよく承知しています。一人の外交官として、そして一人の写真家として、将来にわたり、この日中両国の美しい自然を守り、両国の庶民の幸福と安寧を願わずにはいられません。
 
最後になりますが、本日のフォーラムが成功裏に開催されますこと、そして皆様のますますの御発展と御活躍を祈念して、私からの挨拶とさせていただきます。
 
御清聴ありがとうございました。