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(2013年5月21日掲載「鳳凰網」:仮訳)

 

駐中国日本国大使:「中国が豊かな国になることは日中の利益」

 

 

 

 4月22日、木寺昌人・駐中国日本国大使は、北京において、大使着任の感想、尖閣諸島(原文は「釣魚島」)の争い、蒼井空、抗日ドラマ等について、鳳凰網の単独インタビューを受けた。木寺大使は、日中の間に障碍は存在するが、日中関係はそう簡単に壊れるものではない、「中国が豊かな国になることは日中の利益に適う」と答えた。


 また、木寺大使は鳳凰網に対し、着任後「足で稼ぐ外交」を実践している、週末は、夫人と一緒に潘家園の骨董市場でショッピングをしたことがある、中国の社会全体がエネルギーに満ちていることを感じると述べた。中国のネットユーザーがよく知る蒼井空について、木寺大使は、蒼井空を知ったのは最近だったと率直に話し、中国の抗日をテーマにしたテレビドラマについて、関心を持っていると述べた。

 

インタビュアー:陳芳

 

赴任の感想:中国の社会はエネルギーが満ちている、中国の友人との縁を大事にする

 

鳳凰網:昨年末の着任からもうすぐ4ヶ月が経つが、この間、中国と中国人に対して、どのような印象を受けたか?


木寺大使:私は昨年12月25日に北京に着任し、もうすぐ4ヶ月になる。この間、習近平国家主席、胡錦濤前国家主席、楊潔篪国務委員、王毅外交部長等中国の政府要人たちにお会いした。また、大使館主催の日中交流イベントを通じて、中国の皆さんと幅広い交流ができた。こうした経験から、私の目は中国は、大変大きく多様性に富んだ国であり、社会全体にエネルギーが充満しているという風に映った。


 中国人はご縁を大切にする方々だと思う。私と中国のご縁は限られているが、これまで知り合った中国の友人とのご縁を大切に思っている。今後も、たくさんの新しい友人と出会うことを楽しみにしている。

 

鳳凰網:前任の丹羽宇一郎大使は、駐中国日本国大使は、日中の間に挟まれて苦しい立場に置かれる、嫌われ役と言われた。とくに木寺大使の着任は、ちょうど尖閣諸島の問題で日中関係が低迷している時期となった。このような役回りについて、どのような感想を持っているか。着任にあたってプレッシャーを感じたか。


木寺大使:約4ヶ月前、駐中国日本国大使として身の引き締まる思いで北京に赴任したが、現在もその気持ちにいささかの変化もない。一方で、私は楽天的な性格であり、一々プレッシャーを感じていては、駐中国日本国大使の仕事はできないと思っている。


 大使として、私の一番の任務は、日中の友好関係を拡大、発展させることである。日中関係は現在厳しい状況にあるが、このような時こそ、両国はハイレベル往来を含むあらゆるレベルの意思疎通を維持・強化し、同時に、経済や文化、人的交流等の交流を積極的に拡大すべきである。


 私は、外交の仕事にはミラクルはなく、地道な努力が大事だと考えている。私自身、できるだけ多くの人と膝をつき合わせて対話をする「足で稼ぐ外交」を実践し、中国の関係者に日中関係の重要性を説明し、日中両国民間の相互理解を促進したい。

 

鳳凰網:木寺大使は「足で稼ぐ外交」を提起されたが、この4ヶ月余りでどのようなところに行かれたか。


木寺大使:北京着任後、政府関係者や学者等多くの人とお会いして、意見交換した。また、私は散歩が好きなので、週末になると街を散歩して、北京の人たちの生活への理解を深めている。昨日は、妻と一緒に潘家園の骨董市場に行って、色々な物が売っているのを見てきた。桜が咲いている時には、玉渊潭公園にも行ったことがある。中国社会に活気が溢れているのを実感した。

 

鳳凰網:新任の王毅外交部長に日本メディアはとても注目しているが、木寺大使は王毅外交部長にどのような期待をしているか。


木寺大使:20数年前、私が日本の外務省中国課首席事務官(中国の副処長に相当)を務めていた当時、在京中国大使館の参事官であった王毅外交部長と一緒に仕事をした。また、外交部長に就任されてから初めてお会いした際には、「日中関係のためにしっかりやっていこう」と固く握手をした。


 王毅外交部長は、長年にわたり日中関係に関わる仕事に携わり、両国関係の発展に貢献されてきた方であり、私は王毅外交部長を大変尊敬している。王毅外交部長と協力して、日中関係の改善・発展に努力していきたい。

 

尖閣諸島について:障碍があっても、日中関係は容易に壊れない

 

鳳凰網:木寺大使が着任してから現在まで、尖閣諸島問題が続いている。尖閣諸島の争いについて、日本はどのような政策をとっているのか。日中間でこの問題が二度と起こらないよう、最終的にどのような解決方法に一致することができるか。両会期間中、劉源・人民解放軍上将が、この争いは実際には面子の問題であると発言したが、この発言についてどう思うか。


木寺大使:劉源上将の発言について、私が一々コメントすることは差し控えたいが、「何が大局であるか、何が一般庶民にとっての最大の利益であるか、明確な物としなければならない」との発言には注目している。
日中関係は厳しい状況にあり、本来冷えるべきでない経済及び文化交流まで冷え込んでしまっている。このような状態は両国国民の利益に合致せず、私も残念に感じている。


 日中関係は日本にとって、最も重要な二国間関係の一つである。個別の問題があっても、関係全体に影響を及ぼさないようコントロールし、「戦略的互恵関係」の原点に立ち戻り、経済、文化、青少年等幅広い交流を積極的に推進することが重要である。


 尖閣諸島をめぐる状況について、中国には中国独自の主張があることは承知しているが、と同時に中国の方に注意して欲しいことは、日本には日本の立場があるということである。日本側からは、中国側が一方的に力で現状を変更しようとしているように見えていることを指摘したい。現在、日本外務省と中国外交部は、意思疎通を行っている。時間はかかるかも知れないが、双方がよく話し合い、適切な出口を探すことは可能だと思う。

鳳凰網:日中間で予見可能な将来において、最大の障碍は何か。


木寺大使:自分は予言者ではないので、ご質問に直接答えるのは難しい。しかし、いずれにしても日中関係は、両国にとって最も重要な二国間関係の一つであるのみならず、地域及び世界に対しても大きな影響を有している。たとえどのような障碍があったとしても、我々は乗り越えていかなければならない。


 昨年は日中国交正常化40周年という記念すべき一年であった。現在の日中関係は、これまで何十年もの間にわたって多くの先人達が心血を注いで構築してきたものであり、たとえ障碍があったとしても、簡単に壊れてしまうものではないと信じている。この点について、私は楽観的である。

 

PM2.5について:日本では70μg/m3を超えれば外出を控えるよう呼びかける

 

鳳凰網:今日(4月22日)の天気はあまり良くない。今年の北京のスモッグは、日本メディアからも注目された。木寺大使は、こうした天候を心配しているか。日本が急速に経済発展する中でも、こうした段階はあったのか。また、日本はどのように解決したのか。


木寺大使:私は北京に来てから、確かに北京の空気の状況は相当厳しい。こうした状況は日本でも多く報道されている。今日のPM2.5の値は1立方メートル当たり200マイクログラム(μg)であるが、中国では300μg/m3を超える日もある。日本では、PM2.5の数値は35μg/m3が安全基準であり、70μg/m3を超えれば、不要不急の外出を控えるように呼びかける情報を発出している。北京の状況はやはり相当深刻であり、私の同僚や北京で生活する日本人もこの状況を益々心配するようになっている。私は、とくに子供達の健康が心配である。


 1950から60年代、日本でも産業発展に伴う公害病や光化学スモッグ等の環境・公害問題があり、住民を原告とする公害裁判も頻発した。日本は長年をかけてこうした公害問題の克服に努め、一定の成果をあげた。日本はこれまでこうした経験を生かして、中国に対する環境分野での協力を提供してきた。4月18日にも大気汚染に関する日中の専門家によるセミナーを北京で実施したが、こうした協力を引き続き推進したい。


 私の父親は、製鉄会社で環境対策を担当していた。高校生の自分が工場に行った際、煙突から煙がでているのを見て、汚れた空気が出ていると言ったら、父親は、「有害物質はもう安全なレベルまで取り除かれている、煙の大部分は水蒸気だ」と説明された。中国にもそういう日が来ることを楽しみにしている。


 環境問題の多くは複合的な原因で起きており、その改善は容易でなく、製品が長持ちする設計やごみの分別回収等、人々のライフスタイルを変えなければならない。私は日本の高度経済成長前の生まれだが、両親はよく私にもったいないと言っていた。環境保護に有利な生活習慣や社会の仕組みを作り上げていくことがとても重要である。

 

蒼井空について:今のところ日中民間交流大使をお願いすることは考えていない

 

鳳凰網:少しリラックスした話題をお聞きしたい。中国のネットユーザーもとても興味を持っている話題である。木寺大使は、蒼井空をご存知か。彼女は、中国の普通のネットユーザーの間でとても有名で、ネット上では、蒼井空を日中民間交流大使にすればいいと冗談を言う人もいるが、大使はどう思うか。


木寺大使:私自身は、最近になってやっと蒼井空さんのことを知ったが、大使館の同僚から、中国の特にインターネット上では大変人気があり、彼女の「微博」のフォロワーは、1300万人以上と聞いている。また、日本の芸能人やキャラクターには、中国にも多くのファンがいると聞いており、若い人々の間で交流が進んでいることを頼もしく感じている。


 もっと多くの中国の方々に今の日本を広く知ってもらえるよう、日本大使館も微博を通じて、毎日、日本の風習、文化、社会制度、観光、特産品、グルメ等様々な分野の情報発信をしている。日本大使館の微博のフォロワーは、20万人強と、蒼井空さんに比べればまだまだ少ない。鳳凰網をはじめ、この記事を見ていただいたネット・ユーザーの方々には、これから日本大使館の微博も是非、フォローして欲しい。

 

鳳凰網:木寺大使は先ほど私の質問に直接お答えになっていない。蒼井空を日中の民間交流イメージ大使にすることは考えているか。


木寺大使:蒼井空さんを日中民間交流のイメージ大使にという意見は初めて聞いたが、そうした意見が出ること自体、彼女の人気を示すものだと思う。イメージ大使が必要かどうかは分からないが、日中の民間交流の発展のために、多くの方が日中双方の様々な分野で自分の力を発揮して、活躍して欲しい。

 

抗日ドラマについて:もし抗日ドラマが日中友好ドラマに変わったら、私にとっては非常に助けとなる

 

鳳凰網:中国ではよく抗日を題材としたテレビドラマが放送されているが、例えば、「抗日奇侠」など、木寺大使は観たことがあるか。こうしたテレビドラマをどう思うか。


木寺大使:、私自身は、中国語が理解できないので、ご質問にあったような抗日ドラマを観たことはないが、なぜこうしたドラマがたくさん作られるようになったのかについて、関心を持っている。


 また、抗日ドラマについての最近の中国国内の様々な議論についても関心を有している。先ほど述べたとおり、日中の友好関係の拡大が私の使命であり、もし、抗日ドラマが全て日中友好ドラマに変わったら、私の使命は大いに助けられることになる。


 一部のテレビチャンネルでは、ゴールデンタイムの半分近くを抗日ドラマが占めているとも聞いており、こうしたドラマがあまりにも多く作られることは、日本人にとって気分の良いものではない。相互理解を深め、日中友好を深めるという点では、好ましいこととは言えない。

 

鳳凰網:この背景には、日中関係の避けては通れない問題―歴史問題が関わっている。中国人にとっては、ずっと心にあるわだかまりである。日本の普通の人々は、日中間の歴史問題について、どのような考え方や態度なのか。


木寺大使:抗日戦争が中国で現在でも一定の影響があるということは知っている。こうしたドラマと歴史が、客観的に言って、どのような関係にあるか、中国の方々に考えていただきたい。


 ご質問の日本国民の歴史認識についてだが、戦後、日本の憲法は思想信条の自由、言論の自由を保障しており、したがって、日本政府が国民の考え方をコントロールすることはしない。


 ただ、このように申し上げて誤解していただきたくないのは、歴史問題についての日本政府の立場は明確であるということである。それは、戦後50周年にあたる1995年8月15日に当時の日本の村山富市総理が発表した談話のとおりである。現在の安倍内閣は、日本の歴代の内閣の立場を継承している。一点補足すれば、1945年以来、日本は一貫して平和友好の道を歩んでおり、この立場は変わっていない。

 

中国の著名人について:中国人は日本の総理を知らないかもしれないが、日本人は中国の指導者が習近平と知っている

 

鳳凰網:日本では、また日本人の中では、(各分野の)どのような中国人が注目されているか。


木寺大使:中国関連の報道は、日本ではとても多いので、中国の指導者、習近平国家主席、李克強総理、李源潮国家副主席などは多くの日本人に知られている。また、中国の歴史的人物は日本でも非常に有名である。もし、中国の方に日本の総理が誰か聞いても答えるのは難しいかもしれないが、多くの日本人は中国の指導者の名前を知っている。

 

鳳凰網:歴史的有名人には誰が知られているか。


木寺大使:孫文、毛沢東、周恩来等や清朝時代の乾隆帝や西太后はとても有名である。

 

鳳凰網:木寺大使個人は中国人でどの人物を評価しているか。


木寺大使:いい質問である。歴史的に有名な中国の偉人は多数いて、日本と縁のあった歴史上の人物も多い。中国文化に功績のあった人物は、たいてい日本でも高い評価を受けている。したがって、誰か一人を選ぶのは難しい。


 ただ、あえて一人を挙げるとすれば、私自身の名前、「昌人」の由来にもなった「武昌蜂起」、そこから始まる辛亥革命を指揮した孫文を挙げたい。彼は、度重なる失敗にもかかわらず、中国の近代革命、共和という理想を追い続けた人物であると思う。


 孫文は、日本で色々な人々と会って、日本人からも様々な支援を受けた。日本の外務省の近くの日比谷公園に「松本楼」というレストランがあるが、そこには、孫文の夫人、宋慶齢がかつて弾いていたピアノが今でも置いてある。

 

鳳凰網:先ほど挙げられた孫文以外では、木寺大使は中国のどのようなところを評価しているか。


木寺大使:中国に来てから、中国社会と中国人の持っているエネルギーに大変深く印象付けられた。このエネルギーは、かつての高度成長期の日本にも見られたが、国が急速に発展し、国民が豊かになっていく時に必要なものだと思う。


 今後、中国の指導者が今の中国の発展のエネルギーをどのような方向に導いていくかが重要であり、中国の新体制がこの面で果たす役割に注目している。現在、巷では「中国の夢」という言葉が流行っていると聞くが、中国社会の発展のエネルギーをいかに普通の市民一人一人の「自分の夢」の実現に結びつけていくかが重要である。

 

ODAについて:中国が豊かな国になることは、日中両国の利益に適う

 

鳳凰網:1979年以降、日本は中国に2551億人民元の円借款やその他の各種援助を提供した。当時のあのような状況下で、日本はなぜ中国にこれほど大規模な援助を行ったのか。


木寺大使:中国が豊かな国になることは、日中両国の利益に適うとの観点から、1979年以来、日本は政府開発援助、すなわちODAを通じて、中国の改革開放政策を後押ししてきた。1989年夏、中国が国際社会で難しい立場におかれた時も、日本は率先して対中援助を再開し、中国の改革開放政策の継続を促した。


 こうした日本側の一貫した援助に対して、中国の指導者も様々な形で感謝の意を表明している。例えば、2008年、来日した胡錦濤前国家主席は、日本の政府開発援助等が中国の近代化を支えた旨感謝の意を述べられた。


 日本は現在も環境分野や中国の貧困地域に対する援助を継続しているが、こうした事実が広く知られ、両国国民の相互理解・信頼につながることを願っている。

 

鳳凰網:木寺大使は東京大学を卒業してから現在まで外務省で勤務されているが、36年間の公務員人生の感想、そして、中国の同僚についての印象を語って欲しい。


木寺大使:私は1976年に大学を卒業してから日本の外務省に入省し、様々なポストに就き、大学時代の想像をはるかに超えるほど幅広い経験をさせていただいた。それぞれのポストにおいて人との出会いに恵まれ、自分は幸せな外交官であると感じている。私の同僚を含めて日本の公務員は、日本という国家と国民のために懸命に働いている。


 私はこれまで中国外交部の方々と接する機会が多かったので、中国の公務員と言われてすぐ頭に思い浮かぶのは彼らであるが、中国外交部の方々も中国のために懸命に仕事をされており、時には我々と意見が異なることはあっても、自国の為に働く気持ちは我々と同じである。そう言う意味で、我々はお互いに相手に敬意をもっている。


 私は中国着任後、中国の公務員についての中国メディアの報道、また、ネット上で厳しい批判が盛り上がるのをしばしば目にするようになった。中国経済の急成長が背景にあるのだと思うが、日本では起こりえないような事件に時々驚かされることはある。

 

鳳凰網:日本では、民衆と公務員の間で不信感から感情的な対立につながることはあるか。


木寺大使:日本でもかつてあった。いつの時代でも、不正を働く役人はいる。とりわけ経済の急成長期には、そうした事件が頻繁に発生する。しかし、現在、日本では、公務員に対する規律は益々厳しくなっており、我々もそういう不正を起こさないように徹底して、国民の信頼を得る努力をしている。中国も様々な経験にもとづいて、将来は類似の状況は減っていくだろうと信じる。

 


在中国日本国大使館
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